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紅とは<伝統行事における紅ー年中行事>

江戸の五節句と寒中丑紅

日本には四季折々の風物や祭事があります。代表的な五節句(正月・雛祭り・端午・七夕・重陽)は、もともと宮中の行事でしたが、江戸時代になって江戸庶民文化として開花しました。武家奉公した町家の女性たちが、奉公先で行われていた行事を、町に戻って真似したためと考えられています。
日本人にとって、「紅」は魔を祓い、彩りを添える縁起の良い存在であったことから、これらの行事でも随所に用いられていたと考えられています。

 

正月
一年最初の月という意味で、端月(たんげつ)ともいいます。江戸っ子の正月といえば、身を清めて初日・富士山を拝み、神社仏閣へ初詣。年頭の挨拶回り、事始めといった順で一年の最初の行事が始まりました。
町の通りには、太神楽(だいかぐら)や三河万歳(みかわまんざい)が新年を祝い歩き、良い初夢が見られるようにと、宝船を描いた摺り物を売り歩く姿もありました。

「当世流行見立」・歌川国芳 画・山口県立萩美術館・浦上記念館所蔵
 

雛祭り
三月最初の巳の日に、雛形という紙人形を川に流して祓いをする行事と宮中のひいな(人形)遊びが雛祭りの原型といわれています。
江戸の雛祭りは、雛文化の本家であった上方をしのぐ盛況振りだったという記録があります。武家奉公していた女性の教養が活かされたのでしょう。女児の健やかな成長を祈り、雛人形や雛道具に、紅が用いられてきました。
また、明治以降は菱餅も三色となり、緑色=健康、桃色(紅)=魔除け、白色=清浄を表すとされています。

「豊歳五節句遊 雛祭」・歌川国貞 画・国立国会図書館所蔵
 
 

端午
五月(午の月)の最初の五(午)の日という意味で、重五・重午(ちょうご)ともいいます。
邪気を祓うものとされた菖蒲を軒に挿したり、幟(のぼり)や人形を飾るなどして、男児の健やかな成長を祈りました。
また、男児たちは、菖蒲の葉を平たく編んで棒のようにし、地面に叩き付け、音の大きさを競う遊び「菖蒲打」をして楽しみました。
ちなみに、幟には、中国の故事で災厄を祓う魔除けの神とされている「鐘馗(しょうき)」を描いたものが多かったようです。鐘馗は、疱瘡絵の代表的なモチーフでもありました。

「今様風俗 五節句乃内五月」・菊川英山 画・国立国会図書館所蔵
 

七夕
牽牛と織姫が再会する伝説と、それにあやかり物事が巧みになるよう乞う行事「乞功奠(きこうでん)」が中国から伝わり、日本古来の棚機女(たなばたつめ)信仰と合わさったものといわれています。五色(青・黄・赤・白・黒)の糸を通した七本の針や布などを供え、夜通し香を焚き、燈明をあげ、織姫にあやかって、裁縫や機織(はたおり)の上達を祈る祭りでした。
江戸時代になると、字が上達するよう願いを込めて和歌や句を書いた五色の色紙・短冊を竹に結び付け、さらに商売繁盛を願う大福帳・算盤、盃・瓢箪・西瓜などの様々な七夕飾りも飾られ、盛大に行われるようになりました。

「豊歳五節句遊 七夕」・歌川国貞 画・国立国会図書館所蔵
 
 

重陽
陰暦の九月九日で陽数の九が重なることから重九(ちょうく)ともいわれています。
菊の花を酒に浮かべ、飲み交わし、無病息災を願ったという中国の習わしを起源とします。
日本では奈良時代以降、宮廷行事として定着し、歌を詠んだり菊酒を飲んだりして、穢れを払い、長寿を願いました。
江戸時代になると庶民の間でも盛んに催される行事となり、花壇菊や菊人形などの見世物で賑わいました。

「当世菊見図」・歌川国輝 画・国立国会図書館所蔵

江戸時代、暦の上で「小寒」と「大寒」を合わせた約一ヶ月間の「寒」の時期に製造された紅を「寒紅(かんべに)」といい、特に良質で発色が良く、口中の虫を殺すなどの俗信や、唇の荒れに効果があるとされていました。
また、寒の丑の日に売り出された紅は、「寒中丑紅」あるいは「うし紅」と呼ばれ、購入金額に応じて材質や大きさの違う牛の置物が配られました。この牛に座布団を敷いて神棚に供えて拝むと、その一年は、着る物に不自由しないとの風説が立ち、人気を集めたそうです。当日は、「寒中丑紅」の赤い幟が立てられた紅屋の軒先に、早朝から紅を求める女性が列をなして一日中賑わいました。

寒中丑紅引き札