紅ミュージアム入り口正面は”紅を纏う(まとう)”コーナーです。日本では長い歴史を持つ染料としての紅をご紹介しています。染料の紅は小町紅や食紅と同じく、紅花の花弁に1%しか含まれない赤色素を抽出したものです。写真のブロックは紅染めでグラデーションを表現した絹で山形県で三代続く織屋さんの”新田”で染めていただきました。こちらのコーナーでは紅染めの絹小物も販売しています。
紅(べに)は江戸時代になるまで『くれない』と発音されていました。平安時代、染料の総称は藍と呼ばれていて『呉(くれ 222年-280年 中国)からきた藍』と言う意味の『くれあい』が語源となっています。紅花染めは直接肌に触れることで血行を促し、体を温めることから江戸時代には襦袢や着物の裏地に用いることがもてはやされていました。独特の色合いは日本女性の肌に美しく映えるため、お洒落と実益を兼ねた着こなしでした。また、紅染めが憧れの対象となったことにはもう一つ大きな理由がありました。
紅の濃い色は近代までは天皇や皇族の着衣の色として使用を制限されていた禁色(きんじき)でした。黄櫨染(こうろぜん/茶系)・青・赤・黄丹(おうに/赤橙)・深紫(ふかきむらさき)・深緋(ふかきあけ)・深蘇芳(ふかきすおう/深い紫赤)の7色は律令制で禁色に定められていて平安時代には宮中の者でさえ天皇や皇后の許可なしには使用できないとされていました。庶民に許された聴色(ゆるしいろ)は『一斤染(いっこんぞめ)』と呼ばれるごくごく淡い紅色で『紅花一斤(約600g)で絹一疋(二反)を染めたもの。』でした。紅花染めにいかに大量に紅花が必要かお判りいただけると思います。少量の花ではごくごく淡い紅色にしか生地を染められないのです。写真の濃い紅色を染め出すには大量の紅花と工程を必要とし、現在でも非常に高級なものとなります。しかし、使ってはいけないと言われると使いたくなるのが人情、庶民の中にも財力を持つものが出てきた江戸時代、奢侈禁止令が頻繁に出される中、着物の裏地や襦袢にこっそり濃い紅色を用いる洒落者もいました。江戸時代特に人気だったのは紅梅色(こうばいいろ)という、現在でいうローズピンクで冬から春にかけての装いに用いられました。
また、この頃より婚礼の内掛けの裏地に紅絹(もみ)をつけて吉事とするようになり、明治時代に婚礼に使われるようになった角隠しも正式には表地を白絹、裏地を紅絹を使います。紅絹を『もみ』と読むのは紅花から赤色素を抽出する際、紅花を水に浸してよく『揉む』という作業が由来と言われています。
紅花から取り出した赤の美しさは格別です。どんなに丁寧に扱っても光や経年変化で退色してしまう儚い美しさがその価値を引き立てます。古くから日本を彩ってきた伝統の赤色を是非一度ご覧下さい。
紅コンシェルジュ T