コレクション
紅屋関連資料
小町紅の紙看板
明治時代
紙看板とは、明治時代~昭和初期にかけてみられた引札の一種。店内に掲示して、商品広告の役目を担った。本資料は、京都四条通寺町にあった紅屋木村平兵衛(紅平)の紙看板。紅清レッテル帳
明治26年(1893)-大正5年(1916)
京都御幸町三条上ルにあった紅屋西田清左衛門(紅清)で製造・販売されていた各種商品のレッテル(ラベル)見本帳。明治26年(1893)から大正5年(1916)にかけて制作されたレッテルが貼付され、印刷部数や印刷費などの情報も付記されている。「小町紅之製造図」(新旧図)
昭和時代初期
京都御幸町三条上ルにあった紅屋西田清左衛門(紅清)が所有していた小町紅の製造工程図。旧図では江戸末期~明治初期の紅場(紅を作る工房のこと)を、新図では一部機械化が導入された明治中後期以降の紅場の景を描写する。小町紅看板
大正時代
紅屋の店頭に掲げた看板。本来、看板下部には立位の小野小町の図像が顔料で着彩されていたが、経年により顔料は剥落し、わずかに輪郭が残る。紅箱・蒸篭(羽二重敷き)・木桶・盥・ゾク
昭和時代
紅づくりに使われていた道具類。丑紅のチラシ
昭和5年(1930)配布 / 羽根田作兵衛
寒中に製した紅は、時節柄、水温が低下し、製造過程における不純物の溶解や細菌の発生、腐敗などのリスクを軽減できたため他の時期のものより品質・発色に優れていた。紅屋では、この時期に製した紅を「寒紅(かんべに)」と呼び、寒中の丑の日に商品の訴求に力を入れた。 本資料は東京市向島寺島町にあった紅屋羽根田作兵衛店による丑の日を知らせる広告である。丑紅の景物 臥牛の人形
江戸時代末期
寒中の丑の日に紅屋が客へ進呈した景品。臥牛をかたどった今戸焼の人形である。